起業の教科書連載シリーズ


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18歳でASD、24歳で糖尿病。だからこそショボい起業でやっていく「エデン京都」店長まよえるてんちょうの場合【ショボい起業実践インタビュー】

18歳でASD、24歳で糖尿病。だからこそショボい起業でやっていく「エデン京都」店長まよえるてんちょうの場合【ショボい起業実践インタビュー】

どうも、えらいてんちょうです。今回は「ショボい起業実践インタビュー」第5弾ということで、「エデン京都」店長のまよえるてんちょうさんにインタビューしました。

板金屋にケーキ工場、紙加工会社・・・色々な職を経験した先のショボい起業

―自己紹介をお願いします。

93年生まれの24歳、京都在住のまよえるてんちょうです。今年4月頭に「エデン京都」をオープンして、店長をしています。緩徐進行1型糖尿病とASD(自閉症スペクトラム)持ちで、診断はありませんがADHD傾向も少し持っています。

―経歴をお願いします。

不登校の中学時代を経て工業高校に進学。起業はその頃から頭にあったのですが、開業資金がなかったことと、借金してまで起業出来るほど具体的でなかったため、一端保留。卒業後は就職支援センターで研修をしながら、就職先を探しました。同時期にASDの診断が下りました。板金屋、ケーキ工場のアルバイト、紙加工会社と様々な職を経験しましたが、どうしてもオーバーワーク気味になり、メンタルやフィジカルを崩しがちに。中学生時代から感じていた不調に糖尿病と名前がついたのもこの頃です。その後、えらいてんちょうさんのTwitterを発見して起業への気持ちが再燃し、「エデン京都」を始めるきっかけになりました。

「一生会社勤めは無理!」ASDと分かってから「我慢する」ことをやめた

―在学中から起業したいと思っていたとのことですが、何かきっかけはありますか。

8歳の頃から趣味で製菓をしていたので、洋菓子店や喫茶店の開業が出来たらとぼんやり考えていました。また、朝に体調不良を起こしがちで、毎朝無理をしていたり、周りに合わせる事に労力を割きすぎてとても疲れたりと、日々の暮らしのなかでしんどいと思うことが重なっていったため、「一生会社に勤めるのは無理!」と感じたこともきっかけの一つです。
旧友がASDと診断され、それをきっかけにASDについて知る機会が増えました。話題の合わない雑談に大変な労力を使う、予定を乱されるとパニックになりやすいなど自分が当てはまる部分も多く、18歳の時に診断を受け、自分もASDだと知ることが出来ました。

―ASDと診断され、診断前と何か変わった点はありますか。

今まで、しんどかったり辛かったりしても我慢していたのですが、診断を機に無理に我慢することが減りました。例えば、私は身体症状も強く、調子が悪い時は室内でもサングラスをかけていないと眩しくて辛いことがあるのですが、以前は「室内でサングラスなんて失礼だから」と我慢していました。今は堂々とサングラスをかけることが出来ます。診断を受けていなかったら、会社勤めも我慢し続けていたかもしれません。


希死念慮や強い眠気に悩まされながらの就業。ようやく診断された糖尿病

―卒業後はまず板金屋に就職したとのことですが、なぜ板金屋に?

卒業後、すぐに就職することができず、就職支援センターで研修しながら就職先を探し、高校で習得した製図の技術を活かすため、板金屋に就職しました。というのも、実は中学校時代から悩まされていた低血糖症が高校生になって更に悪化し、卒業当時はとても就職できる状態ではありませんでした。

私は低血糖がメンタルに影響しやすいタイプのようで、低血糖を起こす度に希死念慮に襲われます。それが原因の一つで中学は不登校気味。幸い支えてくれる友人に恵まれ、別室登校したりフリースクールに通ったりしながら工業高校の推薦を取り、卒業することが出来ました。高校生になり、楽しいスクールライフだったのですが、低血糖症は悪化。少しでも空腹を我慢すると手が震え、授業中や下校中にかかわらず涙が止まらなくなってしまうまでに。常にカバンにお菓子を入れて、休み時間には手を震えさせながらそれを口に運ぶ日々が続きました。

板金屋は、そんな中なんとか卒業してやっと見つけた就職先ではありましたが、現場仕事だったため、体力のなかった私には負担が強く、数週間で退職しました。
次に就職したのはケーキ工場。この頃から会社勤めを一生やるのは無理だと悟りました。趣味の製菓で自分の店を持ちたいと思い、まず現場に飛び込んでみようと始めたアルバイトでした。しかしここでも、8時始業23時終業8連勤残業手当なしといったオーバーワークが祟り、メンタルとフィジカルを壊し退職。
3社目の紙加工の会社には、パートタイムで製図担当として入社。ところが、途中から正社員登用という形で機械オペレーターと兼任することになってしまいました。この時は丁度、糖質制限によって低血糖をコントロール出来るようになってきていたため、一人暮らしを始めた直後。急な2人分の仕事に加え、家事も全て一人でこなそうとした結果、熱が下がらなくなり、3度の退職。しばらく自宅療養し、回復してきたところで紙加工会社の先輩から呼び戻され、再び体調を崩しながらパートをしていました。

24歳を迎え、糖質制限をしても眠気や希死念慮から逃れられなくなってきた矢先、ようやく緩徐進行1型糖尿病と診断されました。インスリン療法が始まり、血糖コントロールがうまくいくようになりました。診断を受けてからまだ1年経っていないのですが、眠気や希死念慮に襲われることもほとんどなくなりました。中学時代から苦しめられた症状にようやく名前がつき、少しずつ症状が改善されていったのです。
とはいえ、会社勤めがしんどいのは変わりなく、起業したい、製菓で食べていきたいという気持ちがより強くなったとき、Twitterでえらいてんちょうさんを見つけたんです。

夢だった「製菓」の実現を胸に「エデン京都」運営中

―エデン京都を始めた経緯を教えて下さい。

Twitterでえらいてんちょうさんを見つけ、そこからブログの「立ち退き騒動」などの記事を読んで、「面白い店と店長さんだな」とすぐに気に入りました。2017年末には隠れ家バー「祇園-或いは、「 」-」さんで行われた出張えらてんバーに参加し、実際にえらいてんちょうさんと話して、どんどん「ショボい起業」に引き込まれていった感じです。
今年の3月頭に実際に東京の「イベントバーエデン」に行って、「エデン京都」の打ち合わせをしました。東京から帰った次の日には物件探しを開始難民社長さんにも自己資金の話やイベントアイデアなど相談に乗ってもらいました。物件は運よく立地や設備の整った元カラオケスナックの居抜き物件が見つかり、開業資金を45万円に抑えることができました。4月頭にオープンし、開店後の設備投資はpolcaというフレンドファンディングアプリで資金を集めています
6月末には無事に紙加工会社を退職でき、エデン京都の運営も安定しています。

―会社勤めの時と比べて、起業した今はどうですか。

全て自分の責任で行えるので、失敗した時なんかは逆に気が楽ですね。失敗の種類や直接関わっている人の有無にもよりますが、怒られる必要も、謝る必要も、尻拭いをさせる必要もないというのはとても楽です。また、直接自分に利益が入ることでモチベーションがぐっと上がります。会社勤めだと、大活躍するか、目に見えてサボるか、よほどのことをしなければ給料が変わりませんが、お店をやっていると忙しいときには忙しかっただけの収入が入るので、頑張った甲斐があったなと思えます

―成果がすぐ可視化されるのはいいですね。今後エデンでしていきたいことはありますか。

6月中旬にカラオケを導入したので、カラオケイベントを企画中です。カラオケの設備は充実しているので、地元の人も集客出来ればと考えています。あとは、やはり製菓は長年の夢だったので、ミックス粉事業や製菓教室イベントをいつかやりたいと思っています。

―製菓イベント楽しみにしています。ありがとうございました。

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