起業の教科書連載シリーズ


「発達障害者ライフハックブログ」の借金玉さんによるマイクロ起業体験談コラム
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ブログサイト「お前ら、社畜で人生楽しいか?」のアツシさんによる、脱社畜のすゝめコラム
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“ショボい起業コンサルタント”えらいてんちょうさんによる、ショボい起業コラム
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法政大学キャリアデザイン学部の遠藤野ゆり助教授による「発達障害と起業」について考えるコラム
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社畜は発達障害には難しい。だからこそ起業や独立に逃げていい

社畜は発達障害には難しい。だからこそ起業や独立に逃げていい

どうも!発達障害持ちで、個人で金を稼ぐ生活をしているアツシです!

私は、過去に10年ほど社会に出て働いていましたが、発達障害持ちに社畜という環境は厳しいです

仕事以外にも、人間関係から来る理不尽な「耐えるべき」ことや、空気を読むことを強要されるので、「お金にならないのにやるべきことが多い」と感じました

そして、発達障害があると仕事はともかく、そのお金にならないことが本当に苦手で、私もそれで社畜で生きることを諦めましたし、世の中の大勢の発達障害者の方もそうなんじゃないかなって思っています

世の中では、社畜以外の生き方には否定的な意見がまだまだ多く、社畜が出来ないから他の手段を取ろうとすると、「甘え」や「逃げ」という第三者のどうでもいい意見が飛んできます

しかし、自信のこれまでの経験の中で、この第三者の意見に対しては、僕自身、聞く必要の無いことだと本気で思っていますので、今回はその考えを書こうかと

「社畜」か「それ以外」はご飯を選ぶように気楽に選べばいい

私は、社畜かその他の生き方というのは、ご飯を食べる為のお店選びくらい気楽でいいと考えています

例えば、「とても美味しいお店」と「普通のお店」なら、大体の人が前者を選びますよね?

そして、これが「普通のお店」と「滅茶苦茶マズイお店」という選択肢を与えられたとしたらどうでしょう?

マズイの基準も人によって違いますが、その「マズイの基準」が、自分が社畜であったという事実だけでいいのです

だからこそ、社畜以外の生き方を認めないというのは

「無茶苦茶マズイお店以外の選択肢を認めない上に、残すことを許さない」ということ

つまり、横暴と言っていいことですから、そういう風に考えると、おかしさがよく分かるんじゃないかと



仮に社畜からの逃げだとしても逃げて何が悪いの?

社畜を選ばないことで、「逃げ」と表現する人が居ますし、私も実際にそういう忠告を受けた事があります

しかし仮に、社畜を選択しないことが逃げだとして、「自分に適性がないから逃げるという行為は悪い」という考え方を、理解する必要は全く無いです

転職することだって

・自分のやりたいことでは無い

・給料が合わない

・休日が希望していたのと違う

・人間関係が嫌だ

という、全てが「逃げ」に繋がる理由ですし、転職だって最後まで突き詰めたら、結局は逃げなんです

しかし、その転職を非難する人は少なくなってきています

もし、逃げを許さず不満をなくそうと思ったら、組織で下っ端からトップになるくらいしないと出来ませんが、他人の作った組織でそこまで出来るなら、一人で最初からやった方が確実に早い

後は、逃げという表現が正しいのであれば、早く逃げることによってより遠くに逃げることが可能なんですよね

例えば、事業を始めるのでも継続したほうが有利なので、その継続の為の時間が少しでも長く取れますし、無理して社蓄をして精神や肉体を病んで回復してから動くよりも、病んでいない状態から動いたほうが時間も多くとれます

となってくると、逃げるという表現が仮に正しくても、それを負い目にする必要は一切ない、ということなのです

終わりに:社畜以外を選ぶのに消極的な理由でも良い

という訳で「社畜が嫌だ」という理由も、立派な起業や独立の為の志望動機になります

社畜以外を選択するのに「○○がしたい!」、という積極的な理由って必要がないんです

確かに、起業や独立には強いエネルギーが必要ですが、そのエネルギーはプラスである必要はなく、むしろ「逃げたい」というエネルギーのほうが強い、という事も十分に有り得る話

僕の経験上、積極性のあるプラスエネルギーって枯渇し易いですし、逆にマイナスエネルギーというのは勝手に湧いてきやすい

そして社畜以外の生き方では、エネルギーのガス欠によって継続困難になるのが最大の敵なので、マイナスの理由のほうがガス欠を起こしにくいんです

私も、「社畜は嫌だ!」という、褒められたことではない理由で一人で稼ぐことを選択しました

今は「社畜には戻りたくない」という理由で、なんとか続いてます

起業や独立なんてのは、別に高尚である必要は無いので、社畜以外の生き方のハードルも、高くする必要は無いと私は考えています

上にも書いたように、「お昼ご飯を選ぶような感覚」で気軽に選択するしてもいいと、断言します

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